藤子不二雄の各種デビュー作についてクイズ形式で記す。
薄青色の部分を押すと答えが表示される。
全部答えられたキミは藤子不二雄デビュー作博士だ!!
『天使の玉ちゃん』です。
当時の名義は「あびこもとお・ふじもとひろし」。
1951年12月連載開始。
藤子は「『天使の玉ちゃん』をプロデビュー作ということにしているんですが……」と、デビュー作をやや曖昧に語ることがあったが、これは『天使の玉ちゃん』の連載媒体が「毎日小学生新聞・大阪版」で、全国紙ではないことも一因だと考えられる。
『三人きょうだいとにんげん砲弾』です。
当時の名義は「足塚不二雄」。
1952年11月発売号の別冊付録。同月発表の読切『西部のどこかで』が雑誌プロデビュー作として語られることが多いが、『三人きょうだいとにんげん砲弾』が付録となった雑誌「漫画王」のほうが数日早く発売された。『西部のどこかで』は「雑誌本誌プロデビュー作」ということになる。前後関係は足塚不二雄を参照。
『三人きょうだいとにんげん砲弾』と『西部のどこかで』は単行本未収録(『まんが道』内に再録されたものは安孫子とアシスタントが後年トレースしているため、実物とは線や細部が異なる)。
『UTOPIA 最後の世界大戦』だといわれています。このため、「藤子不二雄の源流の作品」として本作が語られることもあります。
『UTOPIA』は1952年春頃に出版社からの依頼を受けて本格的に執筆を開始した作品だが、高校3年時の1951年5月(または4月)から構想と執筆を開始し10月に頓挫した「1951年版」が存在する。10月の安孫子の日記に「ストーリーを再構成することに」「執筆済みの原稿は使えるものだけを使う」旨の記述があることから、1952年から新たに執筆された『UTOPIA』には高校3年時に執筆した原稿がわずかに使われていると考えられている。
ただし、「手塚治虫の『来るべき世界』の大量の没原稿に衝撃を受けた直後である」「若い頃は1年で絵柄が大きく変化するため過去の原稿は描き直したくなりがち」といった理由で原稿をすべて描き直した可能性もある。
また、『天使の玉ちゃん』の投稿は1951年10月だが、構想は3月なので、一部の原稿が『UTOPIA』よりも早く描かれた可能性はわずかながらある。
なお、1950年の『三人兄弟』(手塚不二雄も参照)は『三人きょうだいとにんげん砲弾』の前身作といわれているが、1952年に安孫子が新たにキャラクターデザインを起こしていることから、1951以前に執筆した原稿が使用されている可能性はないと考えられる。
『四万年漂流』です。
当時の名義は「足塚不二雄」。
「冒険王」1953年1月発売号から連載開始するも6回で打ち切り。この失敗を機にペンネームを藤子不二雄に改名した。
単行本未収録(『まんが道』内に一部再録されたものは安孫子とアシスタントが後年トレースしているため、実物とは線や細部が異なる)。
『ゆりかちゃん』です。
「少女」1954年11月発売号から連載開始。
後年の『オバQ』や『ドラえもん』につながる生活ギャグ漫画的な筋運びがすでにある程度完成している。
企画ものも含めるならば藤本担当の実質的な雑誌連載デビュー作は「漫画少年テーマ特集」(1954年8月発売号から)。
『どんぐりくん』です。
もともとは清水春夫による連載漫画だが「漫画王」1954年11月発売号の#3から藤子が引き継いだ。
同じ月に2本の連載仕事が舞い込んだため、藤本と安孫子で1本ずつ担当することになり、互いの作品への関与はアシスタント的なものにとどまっていたと考えられる。
『世界とたたかう少年』です。
「二年ブック」1955年1月発売号から連載開始。
後年の代表作『シルバー・クロス』につながる世界的陰謀が描かれるスケールの大きな作品。
『ビッグ・1』です。
「週刊少年サンデー」にて1962年に連載。その後藤子の代表作として著者紹介等に掲載された。安孫子もお気に入りの作品だったという。同年には『くまんばち作戦』も同誌に週刊連載している。
『21エモン』です。
「週刊少年サンデー」にて1967年に連載。同誌での2作前の連載『オバQ』と前作の『パーマン』は合作だったが、それらを受け継ぐアニメ作品が安孫子単独の『怪物くん』に決まったため(『怪物くん』は月刊+週刊のダブル連載)、『21エモン』は藤本単独作となった。藤子不二雄の少年週刊誌連載11作目にして初の藤本単独作。
藤本単独の週刊連載は意外と少なく、少年週刊誌連載は他に『ウメ星デンカ』『モジャ公』のみ(他には週刊新聞連載『Uボー』がある)。かたや、安孫子単独の週刊連載は十数本以上ある。
藤本も『21エモン』は大のお気に入りで、連載終了後も他社の雑誌に移籍して『モジャ公』として続きを執筆したほどの特別な作品だった。
1コマ漫画『野球天神』です。藤本執筆作。
1951年1/1「富山新聞」掲載のアマチュア投稿漫画。
前年から幅広く手塚不二雄名義が用いられていたならば、手作り雑誌「少太陽」等で同名義が用いられていた可能性もある。
プロデビュー後のプロ用作品では手塚不二雄名義は用いられていない。
読切短編『三人きょうだいとにんげん砲弾』です。
詳細は前述の通り。
読切短編『旋風都市』です。
1953年夏発表。同時期に足塚不二雄名義の『UTOPIA 最後の世界大戦』が発売されたが、5/30〜6/6頃には新ペンネームの「藤子不二雄」が考案されていたと考えられる。
「1954年の『宇宙鉱脈』」というのはデマ。この誤情報は多くの公式書籍等に長年掲載されており、現在も公式サイトの年表等の改名年は誤ったままである。
4コマ漫画『ドンチャン』です。安孫子執筆作。
1950年2/10発売「漫画少年」掲載のアマチュア投稿漫画。1949年に執筆したと思われる。
現在判明している限りでは、公の媒体への掲載は安孫子が先。高校1年時。
短編『種まき奇談』(2ページ)です。
1950年3/10発売「漫画少年」掲載のアマチュア投稿漫画。2ページでの掲載は手塚治虫の目にも止まり、このあとすぐに初のハガキを受け取り藤本と安孫子は狂喜することになる。アマを参照。
不明です。
初合作は反射幻燈機用作品だったといわれており、『天空魔』の名前がよく上がるが「初の合作か」ときかれた藤本は「当時たくさん作った中で⼀番のヒット作が『天空魔』」と答えているので実際の初合作は別作品だった可能性が高い。
反射幻燈機用作品として名前が上がっているのは他に『ポパイ』『天空の秘宝』『丹下左膳』『ルパン』。
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