手塚不二雄

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藤本弘安孫子素雄のコンビ(のちの藤子不二雄)が1950年頃から1952年春までのごく短期間にだけ使用した共同ペンネーム。

初めて使用した共同ペンネームだとされている。

尊敬する手塚治虫から「手塚」を拝借し、藤本のフジ→「不二」と、素雄の「雄」を組み合わせて命名した。

よみ】てづか ふじお

】Tezuka, Fujio

「不二」の由来

「不二」の漢字は藤子によると「本当は2人なのに2人にあらずというのが面白いと思ってつけた」とのこと(不二書房からとったというのはデマ)。

「不二」はもともと人名でよく使われる漢字。一般的には「2人といない特別な人(物)」という意味で使われる。一般的には「2つに分かつことができない(強い絆)」という意味もある。

ペンネーム「手塚不二雄」の成立時期

「手塚不二雄」の成立

上図の通り、現状の資料のみから判断できる有力な成立時期は「遅くとも1950.11」だが、もしそれ以前の少年向プロ用投稿作でも使用されていることが判明したならば、成立時期は「同年夏頃」まで遡る。

一般(大人)向漫画のアマチュア投稿における最古の使用例は『野球天神』(富山新聞1951.1.1付)であり、この作品の執筆時期は1950年12月頭頃だと考えられる。落選作があった(『まんが道』では大人向け漫画の最初の投稿作はすべて落選した内容が描かれている)ことや、未発掘の採用作がある可能性を考えると、「手塚不二雄」はもっと早い時期から使用されていた可能性が高い。

子供向け漫画での最古の使用例は『ユメ物語 (UTOPIAN-BOY)』だが、その前に描かれた『ハルオくんとカラス』も同名義で投稿された説が濃厚。もしそれ以前の短編漫画も手塚不二雄名義で投稿していたならば、使用時期は1950年の夏頃まで遡る可能性がある。

子供漫画と大人漫画のどちらで先に使われたか

当委員会の調査資料のみでは判然としない。

1950年11月頃に同時成立説

少年向けのプロ用投稿漫画でも賞金稼ぎ目的のアマチュア大人漫画でも「手塚不二雄」の共同ペンネームを使うことを同時に決定し、少年漫画では手塚治虫を倣ったスターシステムを取り入れて画風を統一し、大人漫画ではスタインベルグ風の画風で統一したという説。少年誌へのプロ用投稿はその何か月も前から行われている様子なので、説の信憑性はやや薄い。

まず子供漫画で使用がはじまり、1950年11月頃に大人漫画でも取り入れた説

少年向けのプロ用投稿漫画でも賞金稼ぎ目的のアマチュア大人漫画でも「手塚不二雄」の共同ペンネームを使うことを決定し、少年漫画では手塚治虫を倣ったスターシステムを取り入れて画風を統一し、大人漫画ではスタインベルグ風の画風で統一したという説。あくまでも子供向け漫画が本道と考えていたであろうことを思えば説の信憑性は高い。

まず大人漫画で使用がはじまり、子供漫画でも取り入れた説

一般の新聞へのアマチュア投稿は19491950年頭から行っていたが、1950年秋頃以降に「キング」などの大人誌へのアマ投稿をはじめるにあたり、「手塚不二雄」という共同ペンネームを考案し、後に子供漫画にも取り入れたという説。

辻褄は合うが、この説が正しいとするならば、「キング」等への大人漫画投稿より前に行っていただろうと思われる『笑いガス事件』等の少年漫画(上図の①〜⑤)では別の名義を用いていたことになる。

「手塚不二雄」名義の終焉

「手塚不二雄」名義は、1952年4月に掲載された大人向けアマチュア投稿2作を最後に使用が途絶える。これは、藤本と安孫子が高校を卒業し、アマチュア投稿を取りやめたからだと考えられる(安孫子は同年3月から新聞社に入社して漫画やカットを多数執筆する生活となり、藤本もほどなく描き下ろし単行本の執筆に専念する生活に入っている)。

『天使の玉ちゃん』はなぜ「手塚不二雄」名義ではないのか

「手塚不二雄」名義を使用中の1951年12月から1952年4月まで連載されたプロデビュー作の4コマ漫画『天使の玉ちゃん』は「あびこもとお ふじもとひろし」名義である。これには
「毎日小学生新聞ではもともと手塚治虫の漫画が連載されていたので、『手塚』が被ることを避けた」
「スタインベルグ風の画風ではないコマ漫画(コマ数が少ない漫画)なので『手塚不二雄』の使用は避けた」
等の理由が考えられる。

デマや誤情報について

「『手塚不二雄』は大人漫画投稿のためにだけ使われたペンネーム」というのはデマ

前述の通り、「大人向け漫画のアマチュア投稿用」だけでなく、子供向け短編漫画にも用いられている(年表PDF1950等も参照)。

プロデビューを目指した投稿(上図の①〜⑥)でも「手塚不二雄」名義が用いられていたと仮定するならば、2人は「手塚不二雄」名義でのプロデビューを目指していたことになる。それがかなわなかったのは、少年漫画雑誌に投稿した短編漫画がすべて不採用になったからであり、もし採用されていたら「手塚不二雄」としてプロデビューしていたことになる。

「手塚不二雄名義の全作がソール・スタインベルグ風の画風」というのはデマ

前述の通り、異なるタッチの子供向け短編漫画でも「手塚不二雄」名義を使用している。

「手塚不二雄名義のコマ漫画(1コマ、4コマなど)全作がソール・スタインベルグ風の画風」ということならば正しい。

「手塚不二雄名義作品はすべて合作」というのはデマ

大人向けコマ漫画においては、2人で話し合ってまず統一された画風を決め(スタインベルグの風味を取り入れた画風に決定)、その後は各作品をそれぞれで執筆していると考えられている。それが正しいならば、「独立したコマ漫画としては単独作」「画風だけは合作」ということになる。

少年向け作品はプロデビューを目指した投稿作品は分担割合の多寡はあれど2人で関わって作画していると推測されるが、単独で描いてペンネームだけ共同のものを使用した可能性も否定できない(そもそも上図上図①〜⑤の作品で「手塚不二雄」名義が用いられていたかどうかも定かではないので判然としない)。

いずれにせよ、のちの藤子不二雄時代と同様で「手塚不二雄名義=合作」では必ずしもなく、「手塚不二雄」は「合作」でも「単独作」でも使用する共同ペンネームという位置付けだったと考えられる。「ペンネームを共同にしてアマチュア投稿を行うことにしてから劣等感が消えた」とのちに語った安孫子の談話内容からも、「合作に移行するための共同ペンネーム」という意味合いよりも「各自の投稿で同じ名前を用いる効用」という意味合いが強く読み取れる。