藤子不二雄

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藤子不二雄は日本のコンビ漫画家。

ともに男性で、本名はそれぞれ藤本弘安孫子素雄

「藤子不二雄」は2人がコンビ漫画家として活動したほぼ全年代に使用した共同ペンネーム。1953年から1988年にかけて約34年半使用。この期間は、合作でも単独作でも「藤子不二雄」という共同ペンネームで発表された。

「藤子不二雄」名義で発表された代表作は、

など多数。

「藤子不二雄」の前に使用した共同ペンネームは手塚不二雄を経て足塚不二雄

1988年以降はそれぞれで独立し(FA独立)、死去するまで別々の名前(藤子・F・不二雄藤子不二雄Ⓐ)で漫画家活動を行った。

よみ】ふじこ ふじお

】Fujiko, Fujio

目次
    1. 略歴
      1. やや詳細な略歴
    2. 主な作品
      1. 1987年以前に「藤子不二雄」名義で発表
      2. 独立後
    3. 表記ゆれ
    4. デマや誤情報
      1. 名義のデマ
        1. 「藤子不二雄」表記=合作というのはデマ
        2. 「藤子・F・不二雄」または「藤子不二雄Ⓐ」の単独表記=単独作というのはデマ
        3. 「『オバQ』や『海の王子』は藤子・F・不二雄大全集で発売されているからF単独作」はデマ
      2. プロフィール上のデマ
        1. 「ケンカして別れた」「金で揉めて別れた」はデマ
        2. 「1952年プロデビュー」はデマ
        3. 「藤子不二雄への改名は1954年」はデマ
        4. 「漫画家デュオ」「漫画家ユニット」と称したというのはデマ
        5. 「1964年のオバQが最後の合作」はデマ
        6. 「藤子不二雄は1987年から独立活動を開始した」はデマ
        7. 「1987年の独立報道でファンはショックを受けた」はデマ?
        8. 「藤子不二雄は1月30日に独立(コンビ解消)を発表した」「1月30日が独立記念日」はデマ
        9. 「1985年夏に藤本は独立(コンビ解消)を考え始めていた」はデマ
        10. 「Fは白い藤子、Aは黒い藤子と、多くのファンに呼ばれた」「これは2人の作風を的確に表している」はデマ
        11. 1988年に「藤子不二雄Ⓕ(ふじこふじおエフ)」と「藤子不二雄Ⓐ(ふじこふじおエー)」に改名したというのは厳密にいえばデマ
        12. 「1970年代中頃の著者紹介で代表作に『毛沢東伝』が入っているのはなにかの間違い」はデマ
        13. 「プロフィールの代表作に『毛沢東』とあるが、タイトルが間違っている」はデマ
      3. 誤情報について
      4. その他のデマ
    5. コンビ時代のその他の共同ペンネーム
コンビ時代はすべて「藤子不二雄」名義

略歴

※コンビ漫画家「藤子不二雄」として活動した藤本と安孫子の略歴(前後含む)

藤本は1933年12月1日、安孫子は1934年3月10日生まれ(同学年)。
1951年に合作『天使の玉ちゃん』でプロデビュー(高校3年時)。
コンビ漫画家として合作・単独作問わず1つの共同名義で発表する方式をとり、1953年からペンネームを「藤子不二雄」とし、多数の作品を発表。合作『オバケのQ太郎』は社会的なブームとなり、安孫子単独作の『忍者ハットリくん』『怪物くん』も大人気を獲得。中でも藤本単独作の『ドラえもん』は世界的な大ヒット作となった。
1988年からはそれぞれ1人の独立した漫画家として活動。藤本は「藤子不二雄Ⓕ」、安孫子は「藤子不二雄Ⓐ」を新ペンネームとした(藤本のペンネームは1989年に「藤子・F・不二雄」に改められた)。
藤本は1996年9月23日没(62歳)。安孫子はその後も単独で多数の作品を発表後、2022年4月6日没(88歳)。

やや詳細な略歴

※上記の短い略歴に、一般的に誤解されがちな経緯を少々付け加えたもの

藤本は1933年12月1日、安孫子は1934年3月10日生まれ(同学年)。
10歳時に出会い意気投合。中学1年時に反射幻燈機用作品を合作。
高校2年時にはプロを目指しコンビ漫画家として短編漫画の投稿をはじめた(コンビ漫画家の結成)。また、共同ペンネーム「手塚不二雄」を使用開始した。
高校3年時(1951年12月)に合作の新聞連載漫画『天使の玉ちゃん』でプロデビュー(名義は本名の連名)。1952年には共同ペンネームを「足塚不二雄」に改名し雑誌デビュー。
コンビ漫画家として合作・単独作問わず1つの共同名義で発表する方式をとり、1953年からペンネームを「藤子不二雄」とし、多数の作品を発表。合作『オバケのQ太郎』は社会的なブームとなり、安孫子単独作の『忍者ハットリくん』『怪物くん』も大人気を獲得。中でも藤本単独作の『ドラえもん』は世界的な大ヒット作となった。
1988年からはそれぞれ1人の独立した漫画家として活動。藤本は「藤子不二雄Ⓕ」、安孫子は「藤子不二雄Ⓐ」を新ペンネームとした(藤本のペンネームは1989年に「藤子・F・不二雄」に改められた)。
藤本は1996年9月23日没(62歳)。安孫子はその後も単独で多数の作品を発表後、2022年4月6日没(88歳)。

主な作品

1987年以前に「藤子不二雄」名義で発表

独立後

全連載図も参照

表記ゆれ

「藤子フジオ」「フジコフジオ」「ふじこふじお」等の表記で作品を掲載することもあった。例えば、「漫画少年」1955年8月号には「藤子フジオ」または「フジコフジオ」の名義で3つの作品が掲載されており、「藤子不二雄」名義は使われていない。「リイドコミック」1975年4.18号では、連載『さすらいくん』の題字の下には「フジコフジオ」、連載『パーマンゴルフ』の題字の下には「え・文/藤子不二雄」と記されている。

デマや誤情報

名義のデマ

「藤子不二雄」表記=合作というのはデマ

コンビ時代は、合作でも単独作でも「藤子不二雄」という共同ペンネームで発表された(上図参照)。

2025年現在、共同で権利を有する単行本の著者名は「藤子・F・不二雄」と「藤子不二雄Ⓐ」を併記する方式がとられ、「藤子不二雄」名義は使用されていない(下図参照)。

1988年の独立後から2000年代まで、てんとう虫コミックスの巻末に掲載されたリスト(広告)の『オバQ』と『新オバQ』の作者表記が「藤子不二雄」となっていたことから誤解されたデマ。これはこの広告自体が元々誤っており、独立後に新しく刷られた単行本で共同権利作品の著者名義として「藤子不二雄」が用いられた例はない。「知識不足の編集者による単純ミス説」と「新オバQが合作であることを熟知した編集者による確信犯説」がある。なお、両作とも合作だが、『新オバQ』は独立後にF単独権利扱いとなった(1988年の藤子不二雄ランドの奥付で確認できる)。

「藤子・F・不二雄」または「藤子不二雄Ⓐ」の単独表記=単独作というのはデマ

コンビ活動終了時に、過去作品は合作も含めてなるべくどちらかの単独権利となるように振り分けられた。『パーマン(1960s)』『わかとの』『新オバケのQ太郎』『きえる快速車』等は合作だが、独立後は単独名義で出版されており、合作である旨の明記もない。つまり、著者名が単独表記されていても合作の場合がある。

単独名義でも合作の場合がある

「『オバQ』や『海の王子』は藤子・F・不二雄大全集で発売されているからF単独作」はデマ

藤子・F・不二雄大全集には、多くの合作が含まれており、『オバQ』『海の王子』『UTOPIA』『仙べえ』等、コンビ活動終了後にFとAの共同権利となった作品も多く含まれている。

書籍の表題作が共同権利の作品かどうかは、奥付で確認できる(「藤子・F・不二雄」と「藤子不二雄Ⓐ」が併記してあり、印税は双方に入る)。

表題となっていない短編や併録作の場合は「共著です」等の注意書きが記されていればコンビ活動終了後に共同権利になったと判断できるが、注意書きが抜けている可能性も高いため確証はない(『バラとゆびわ』は初版発行後、FとAの共同権利作品である旨の訂正が別書籍の月報に掲載されたが、2026年6月2日現在、F大全集の公式ウェブサイトではその旨の表示は欠落したままである)。表題となっていない作品の場合も、共同権利作品であれば相応分の印税が分配されるものと思われる。

プロフィール上のデマ

「ケンカして別れた」「金で揉めて別れた」はデマ

1987年末に独立を発表し、1988年1月に独立パーティを開いてそれぞれで個別の活動を行うことになったが、その大きな要因は1986年に藤本が胃がん手術を行い、1987年に再度体調を崩して長期療養を余儀なくされたこと(全連載図を参照)。藤本と安孫子は終生友人関係を続けた(独立を提案したのは藤本。藤本は体調が万全でない中、自分の漫画執筆に専念できる環境が必要だった? 死を意識したことで、生前に作品の権利を分けておく必要性を感じた?)。

「1952年プロデビュー」はデマ

正しくは1951年。

藤子不二雄の単行本等の著者略歴には長らく「昭和27年(1952年)『天使の玉ちゃん』でプロデビュー」等の内容が記載されていたが誤り。「単なる誤植」説と、「連載開始が年末だったので、藤本と安孫子があえて翌年をプロデビュー年と称していた」説がある。

「藤子不二雄への改名は1954年」はデマ

正しくは1953年。

藤本死去後のある時期まで「1954年」という誤った情報が定説のように各書籍に掲載されていたが、その後、一部の書籍で正しい「1953年」の記載となった。2025年現在も一部の書籍は「1954年」の誤記載のままで流通している。

Fミュージアム公式サイトの年表藤子プロ公式サイトのプロフィールは2025年4月現在でも古い情報がアップデートされておらず、「藤子不二雄」は1954年の位置に記載されたままで、誤りが長年拡散され続ける元となっている。

初期ペンネーム

「漫画家デュオ」「漫画家ユニット」と称したというのはデマ

「漫画家デュオ」「漫画家ユニット」という呼称は一般人がネットに書き込んだことにより主に2010年以降に拡散したもの(ネットスラングの一種)であり、藤子不二雄が実際の活動期間に広く用いた呼称ではない。活動当時、実際に広く用いられた呼称は「コンビ漫画家」「2人で1人の漫画家」など。

「1964年のオバQが最後の合作」はデマ

合作#オバQ最後デマを参照。

「藤子不二雄は1987年から独立活動を開始した」はデマ

独立の意向は1987年12月23日に「ごあいさつ」と題した書状で出版各社へ伝えられたが、その文中には「新年を期に」と記されているため、独立活動の開始は早くとも1988年1月1日を起点とすべきである。1988年1月上旬には全国紙で報道。1月25日にはホテルにて「藤子不二雄が二人に独立する記念日」パーティが開催された。

なお、雑誌等で名義が変更されるのは2月から(藤子不二雄ランドにて名義が分かれたのは1988年2月26日発行の『魔太郎がくる!!』9巻が初)。藤本が新しい仕事場「藤子プロ」の事務所開きを行ったのは2月5日。

「1987年の独立報道でファンはショックを受けた」はデマ?

前項の通り、1987年12月23日に「ごあいさつ」と題した書状を送ったのは出版関係者宛であり、その段階ではあくまでも業界内での情報伝達に過ぎない。1988年1月上旬の全国紙での報道が初報道であったならば、一般に発表されたのは1988年ということになる(要追加調査)。

「藤子不二雄は1月30日に独立(コンビ解消)を発表した」「1月30日が独立記念日」はデマ

1988年1月30日には朝日新聞に独立関連の記事が掲載されているが、これは25日の独立パーティを受けて30日付の新聞にたまたま掲載されただけで、多くの関連記事のひとつに過ぎない。2020年代になってからその日付が「発表日」や「記念日」だと誤解されてネットで拡散されたデマだと考えられる。

「1985年夏に藤本は独立(コンビ解消)を考え始めていた」はデマ

正しくは「1987年夏」。独立を考え始めた原因は1986年に胃がん手術、1987年3月に緊急再手術を行い長期休業中だったため。

デマの原因はネット上の誤植。

「Fは白い藤子、Aは黒い藤子と、多くのファンに呼ばれた」「これは2人の作風を的確に表している」はデマ

「白い藤子、黒い藤子」という呼称がファンの間で広く使われた事実はない。

なぜならこれを好んで使うのは「Fはドラえもんなどの明るい児童マンガ、Aは魔太郎などのダークなマンガ」という浅いイメージしか持っていない人だけであり、「Fもダークな作品を多く描いているのに」と思っているファンは使わないからである。

安孫子自身がこの呼称を面白がってインタビュー等で話題にしたことからマスコミが多用するようになったが、そもそも的はずれな表現で作品実態とそぐわないことから、「これは漫画原稿が白っぽいのがF、黒っぽいのがAという絵柄上の話」などと理由が変化して語られるようになっている。

1988年に「藤子不二雄Ⓕ(ふじこふじおエフ)」と「藤子不二雄Ⓐ(ふじこふじおエー)」に改名したというのは厳密にいえばデマ

1988年の名義変更から約1年間は単行本カバー等のⒻⒶマークは小さく表示されており、著者紹介では「藤子不二雄Ⓕ(ふじこふじお)」等と「よみ」が表記されており、奥付等の名義の英語表記も「Fuziko Fuzio」のままだった。
つまり、独立時の両人の意識としては
「ペンネームは『藤子不二雄』を使い続ける」
「どちらの作品か判別できるように末尾にⒻⒶマークを小さく付ける」
「ⒻⒶはあくまでも添え物のマーク」
というものだったと考えられる。

1989年に藤本が藤子・F・不二雄に改名後、藤子不二雄ⒶのⒶマークも大きく表示されるようになり、奥付の英語表示もそれぞれ「Fujiko F Fujio」「Fuziko Fuzio Ⓐ」となった。

「1970年代中頃の著者紹介で代表作に『毛沢東伝』が入っているのはなにかの間違い」はデマ

当時、藤子の『毛沢東伝』(安孫子単独執筆作)の総集編書籍が大いに売れ、社会的にも話題になった後の時期なので不自然さは何もない。

藤子の『毛沢東伝』は1970年末から1971年にかけて連載されたが、その翌年の1972年9月には日中国交正常化が実現し、日本は中国ブームに沸いていた。

ちなみに安孫子は戦後、毛沢東の長征に関する書籍を読み、戦時中の自分が知り得なかった冒険譚として感銘を受けて「いつか漫画にしたい」と思っていたという。漫画『毛沢東伝』はその思いが結実し、巨匠が様々な伝記漫画を執筆する編集部発の企画「革命家シリーズ」の第一弾として漫画雑誌に連載されたものであり、安孫子が毛沢東の思想等にどっぷりと心酔していたわけではない(後に『毛沢東伝』の新単行本が編まれた際には安孫子は天安門事件に対する苦々しい思いを加筆している)。「革命家シリーズ」で描かれた人物は他にヒットラー、マルクス、マホメット、マリリン・モンロー。

「プロフィールの代表作に『毛沢東』とあるが、タイトルが間違っている」はデマ

「週刊漫画サンデー」での連載時のタイトルは『毛沢東』、単行本出版時にタイトルが『毛沢東伝』となったという経緯なので誤りではない。

誤情報について

藤子不二雄の伝記、公式書籍には多数の誤りやデマが記載されている(年代の誤り、「ドラえもんの身長129.3は小学生の平均身長が由来」等のデマ、『まんが道』のフィクション記述を真実だと勘違いしたデマ等)。研究本、同人誌も同様。ネットの誤情報をコピペして作られた書籍記事もあるため、「紙に印刷された情報」が正しいとは限らない。複数の情報源をつきあわせて精査する必要があるが、1冊の書籍の誤情報の引き写しが複数の書籍に掲載されている場合もあるので、情報源が多いからといって正しい情報とは限らない。

その他のデマ

デマを参照。

コンビ時代のその他の共同ペンネーム


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