「2人で1人」「コンビ漫画家」の藤子不二雄が、1988年からそれぞれ「ソロ漫画家」として独立し、ソロ活動に移行したこと。非公式用語。
いわゆる「コンビ解消」はマスコミ報道で使用された言葉で、当時の藤子は使用していない。
FA独立に至った理由は藤本が胃がん手術後、再度倒れ、長期休養を余儀なくされたため(「金銭で揉めた」はデマ)。
【よみ】えふえーどくりつ
本サイトでは「コンビ解消」の用語は極力用いず、「FA独立」と表現する。
「コンビ解消」はもともとは藤子によって使用された表現ではないことや、「コンビ解消」という表現が外国語に翻訳された際にはしばしばマイナスイメージを持つ表現になることが理由。
多くの場合「独立」だけでは誰が独立したのかが不明瞭なので、藤本と安孫子がそれぞれ独り立ちしたことを示すために「FA独立」とした。
藤子が1987年の年末に出版社等に送付した「ごあいさつ」にて「ソロでやってみようじゃないか」「二人二脚システムに移行」等と表現したことを考えれば「FAソロ活動移行」「二人二脚への移行」等も候補にあがったが、冗長なので、「藤子不二雄の独立を祝う会」というパーティ名からとった「FA独立」を採用した。
1987年末までに藤本と安孫子で独立の合意と話し合いが行われ、当時認識されていた全作品がどちらの帰属になるかが円満に決められている。
その結果、合作の多くはどちらかの単独権利作品扱い(=単独名義)となり、ごく少数の合作のみが共同権利作品扱い(=両名義併記)となった。
※藤子不二雄#dema等も参照。
1987年の年末に出版社等に送付した「ごあいさつ」には、
(前略)近年、私達は作品によって、担当を分けて描いてきました。(後略)
(前略)『パーマン』は藤本(後略)
と記されているのみで、1960年代の『パーマン』が「藤本が主体となって担当した作品」かつ「作画分業システムにより安孫子も作画を行った合作」なこととまったく矛盾しない内容である。
藤子は「『パーマン』はすべて藤本だけで執筆した藤本単独作」などという事実と異なる主張は一切したことがない。
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