1950年(本物そっくりの手作り雑誌「少太陽」創刊)

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1950

雑誌や新聞に多数のアマ投稿作品が掲載される。手塚治虫からファンレターの返事がはじめて届いて大感激。肉筆回覧誌「少太陽」を創刊(この年は3冊発行)。「少太陽」にて大作長編『旋風都市』(76pのリレー作品)を発表。共同ペンネーム「手塚不二雄」での投稿を開始。

連載

デビュー前なのに毎月複数の連載を抱えて忙しく執筆している。

連載タイトル一覧

# 開始年 作品名 特記
備考
1 1948 8 宇宙征服団 f 「RING」の連載が「少太陽」で完結
2 1948 4 黒鉄バット f 連載開始年は推定。1951まで予告に載っているが掲載はなし
3 1950 4 コーパーキャニヨン 少太陽版 a 西部劇絵物語
4 1950 4 クリップちゃん f
5 1950 4 地底戦争 f 連載科学冒険怪奇探検漫画物語
6 1950 4 横町名探偵 a 3号は未確認
7 1950 4 漫画スクール g 2,4号には掲載(3号は未確認)
8 1950 4 3ちゃんの希望探訪 g? 漫画家探訪記事(架空)。1,2,5号に掲載(3号は未確認)

月別連載状況

#1950123456789101112
1 征服団 f
2 黒鉄バットffSU
3 コパキャ(少 aaa
4 クリップ ffSU
5 地底戦争 fff
6 横町名探偵aSU
7 漫スク aSU
8 希望探訪 PUfSU
月合計→000762000000

概要

アマチュア漫画投稿で多数入選

詳細はアマを参照。

手塚治虫からのはじめての返信に狂喜

3月に渦巻き状に文面が記されたハガキ(以下「渦巻きハガキ」)が手塚から届き狂喜する。藤本の当時の日記には「つんのめりながら安孫子宅へ走った」と記されている(1975年藤本談)。

『まんが道』では2人宛の文面に改変されているが、実際は藤本宛で、文面の冒頭は「DEAR Fujimoto」。安孫子への言及は末尾の「アビコ君によろしく。さよなら 虫」の箇所のみ。

藤本が『マクベス』を構想(または執筆)していたことがハガキの文面からうかがえる。手塚は『ノア』を構想中だと記している(翌1955.1に『来るべき世界』として発売)。

数多くの書籍・資料で年代が誤っている。

手作り雑誌に熱中

4月に肉筆回覧誌「少太陽」を創刊。商業誌を模した誌面が売りで、さまざまなペンネームで漫画、絵物語、小説、特集コーナー、広告を2人だけで執筆した。製本したものを友人や近所の子供達に回し読みしてもらい好評を得た。1950年は3冊を発行(各作品ごとに個別で執筆を行う場合がほとんど)。

大作『旋風都市』を発表

「少太陽」4月創刊号にて発表された『旋風都市』は全8部の連作。合計すると76pの長編作品。各部ごとに藤本と安孫子で分担して執筆していると推測されるが、全体をひとつの作品として捉えると「初の合作長編」ともいえる。

共同ペンネーム方式を開始

1950年から投稿作に共同ペンネームを使用する方式を開始。共同ペンネームを「手塚不二雄」とした(手塚治虫にあやかる)。

これは合作のときにだけ使うペンネームではなく、当初から合作でも、1人で描いた作品でも使用する「共同ペンネーム」。

合作のみに転換したという誤解

共同ペンネームの使用開始は「全面的に合作方式に転換した」と誤解される元にもなっている。しかし合作への全面転換はしていない。

プロをめざす投稿

プロをめざす短編投稿においては「共同ペンネームの2人組漫画家としてデビューをめざそう」「記念すべきデビュー作は2人がかりで執筆しよう」という意図で同じペンネームの使用をはじめたと推測できる。「手塚不二雄」名義でも合作でない場合も考えられる。藤本は1951年にも「H.Fujimoto」名義で漫画を執筆している(『海底連邦』)。

アマチュア投稿

アマチュア投稿においては、新聞や大人雑誌への投稿にて「手塚不二雄」の共同ペンネームが用いられているが、藤本は『漫画少年』への投稿を本名で継続している。「非少年向けの媒体は『手塚不二雄』名義にすることにした」「高校生が大人雑誌に本名で投稿するのに抵抗があった」等の推測が成り立つ。「安孫子も少年誌に本名で投稿を続けていたが、ある時期以降は採用されなかった」という可能性もある。

確認済みの本名投稿最終作は、安孫子は翌1951/1/7付北日本新聞『千鳥足』、藤本は翌1951年9月発売「漫画少年」の『遠近法』(いずれもアマチュア投稿作)。

少太陽

「少太陽」への執筆においても、1号の『旋風都市』を各部ごとの単独作品とみなせば、翌年4月の5号までのほとんどが個別で執筆した作品である。

プロデビューを目指した短編漫画を投稿

プロデビューを目指し、短編漫画雑誌投稿を開始するがすべて不採用。各作品が合作なのか単独作なのかは不明。未公開原稿が多数あると考えられているので、今後明かされる新情報での解明に期待。

以下の作品の情報は『まんが道』文庫14巻p70より。

アマチュア投稿掲載作

1950 [アマ作品の詳細]
藤本 藤本 藤本 安孫子 安孫子
その他一般 漫画少年 北日本新聞 北日本新聞 漫画少年
→その他少年誌
→その他一般
1950210ドンチャン
こんな小供に誰がした1950226冬来たりなば
ああ無情195039ドングリ君
種まき奇談1950310
花咲爺さんの嘆き195044
195046商人はかくあるべし
1950411今様大久保彦佐
幼児の心理1950414
1950424あゝ宣傳とは
つらきものじゃ
時の記念日1950510
1950520あらいやだ
りんきおうへん195063
スピード興業1950611
1950626何の日?
諸行無常195073
ダンゴ仙人とたなばた1950710
コロコロマダム1950718
1950719チャッカリ坊や
奇禍1950827
195097「てんぐのおめん」
(少年)
はかられたか!195099
サンドウィッチマン1950926
1950101巨人ファン
(少年ジャイアンツ)
(特等入選漫画)19501110
かるたとり
(週刊市民新聞)
19501231うさぎの年
(週刊市民新聞)

月日表

1950
できごと メモ
2 上旬 「RING」を廃刊し、新たに「少太陽」を作ろうと発案
2 10 安孫子が「漫画少年」に初入選 4コマ『ドンチャン』。2人の投稿の中で初入選? 『漫画少年』への作品掲載は安孫子が先
3 10 藤本が「漫画少年」に初入選 『種まき奇談』(2p)。前号で苦汁をなめた藤本が大きく巻き返した形(作品の執筆時期はおそらく前号発売よりも前)
3 中旬 少太陽」創刊号の制作に着手
3 16 藤本の父(儀男)が死去 NU45p15,NU46p17
3 18 手塚治虫から初返信をもらい狂喜(藤本宛のハガキ) 多くの書籍等で年度が誤っている。文面の末尾は「アビコ君によろしく。さよなら 虫」(安孫子への言及はこれのみ)。藤本が『マクベス』を構想、手塚は『ノア』を構想中等の内容が文面からわかる
4 3 少太陽」4月創刊号発行 (174p) 複数の資料、ネット情報が「30日」になっているが、奥付にある手書きの日付は「3日」(allAp61参照。ひとつの記述誤りがコピペされて広まっている?)
5 1 「少太陽」5月号発行 (74p)
6 ? 「少太陽」6月号発行
? 雑誌への短編漫画投稿(プロデビューを見据えたもの)を開始 各作品が合作か単独作かは未調査
? 共同ペンネームを「手塚不二雄」とする 「手塚」は手塚治虫にあやかる。決定時期は不明(1951.1.1の「手塚不二雄」名義入選作が確認されているので遅くとも12月には決定)

その他の作品

1950年のその他の執筆作品は以下の通り(『まんが道』文庫14巻p70より)。

投稿作品と、「少太陽」掲載作品は後ほど追加予定。

ご注意

関連ページ

外部リンク

手塚治虫『氏神さまの火』は下記で読めます。