藤子不二雄名義で発表された日本のギャグ漫画。のんきなオバケのQ太郎が、少年・正太の家に住み着いたことで起こる騒動が描かれ1960年代に社会的大ブームとなった。
以下、「オバケのQ太郎」は適宜「オバQ」と略す。
【よみ】おばけのきゅーたろう
『オバQ』における藤本と安孫子の制作分担をごく端的に表すと下記の通り。
「①1960年代の連載、②1970年代の連載(いわゆる新オバQ)どちらも合作」
「FA独立時の権利分割により、1988年以降は①は共同権利作のまま、②はF単独権利作扱い」
『オバQ』のやや詳細な制作分担は下記の通り。
「『オバQ』は藤本と安孫子の2人で話し合って設定等を決め、もともとはエピソードごとに交替で話作りを行った完全合作(後年は藤本の執筆比率が多くなったが、根本は分担比率が同等の合作)」
「①1960年代の連載のうち
(i)「週刊少年サンデー」連載は合作(これのみ多くの回で石森も脇役キャラの作画を担当。アシ作業はスタジオゼロ。原稿料は全額スタジオゼロの運転資金に納入)
(ii)学年誌連載も合作(学年誌連載は基本的に藤本担当なので藤本メイン執筆合作に。アシ作業は藤子スタジオ)」
「②1970年代の連載(いわゆる新オバQ)も合作(学年誌連載なので上記(ii)と同様に藤本メイン執筆合作体制)」
「ただし、①1960年代も②1980年代も未就学児向けの連載は藤本が単独で執筆」
「FA独立時の権利分割により、1988年以降は①は共同権利作のまま、②はF単独権利作扱い」
漫画『オバQ』には様々な種類が存在する。下記に主なものを記す。
1964年の連載開始当初(全9回の短期連載)は、週によって藤本と安孫子のどちらかがネーム(話作り)を担当して両者がキャラごとに作画する完全半々(藤本と安孫子の分担において)の合作。その後、安孫子がネームを担当する回はごくわずかになり(安孫子は『忍者ハットリくん』『怪物くん』等の単独作連載を複数抱え多忙になったため)、基本的にネームは藤本が担当するようになった。石森らスタジオゼロのメンバーが作画を手伝っているのは基本的に週刊少年サンデー連載版のみ。
「小学一年生」等の雑誌に連載された作品。合作。アシスタントは藤子スタジオ所属のメンバー。
本サイトで『新オバQ』の呼称を用いる場合、基本的にはこの学年誌連載のうち1971年から約2年間連載された作品のみが対象(「新オバQ」は連載タイトルではなく、1975年に同名のてんとう虫コミックスが1971〜1973年連載の学年誌版を収録して出版されたことで作られた区分のため。その後FFランドの「新」に1976年のジャンプ読切が収録されたが分類上はこの1作のみ異質。F大全集では「新」に1971年以降の作品が幅広く収録されたが、1975–1988までにてんコミでイメージが形作られた「新オバQ」の呼称を幼年版にあてはめると違和感がある等の意見もあるため)。
「よいこ」「幼稚園」「めばえ」「ベビーブック」等に連載された未就学児向けの作品。藤本単独執筆。
『オバケのP子日記』、マドモアゼル連載版(通称マドQ)など。合作。
レコード用漫画、明星読切「めんどうみよう」、ボーイズライフ読切「恐いよ恐い」、『ペケポコバケラッタ』、『劇画・オバQ』(これのみ藤本単独執筆作)など多数。ジャンプ読切「明日は誕生日」(1976年。オバQ最後の漫画作品。F大全集では新オバQに収録)まで安孫子も正太の作画を担当している。
1コマ連載『オバQのオトボケ戯評』、新聞に掲載された1コマ漫画など、細かな作品が多数描かれている。
※藤子不二雄#dema、合作#demaも参照。
FA独立時に藤本と安孫子によって話し合いが行われ、『オバQ』の全作品の権利帰属は1987年中に円満に決められている(共同権利等も参照)。
この時点で、漫画単行本でいえば『オバQ』はFA共同権利、『新オバQ』(1971以降の作品)はF単独権利と、明確に分割済みなのである。
1988年当時にはてんコミとFFランドの『オバQ』が多く流通していたが、これらの印税はFA折半。1989年3月から9月にかけてはFFランドで『新オバQ』が新たに刊行されたが、奥付の著者表示は「藤子不二雄Ⓕ」となっており、『新オバQ』の印税はFに全額入ることが確認できる(「権利問題でもめていてこれらの印税が宙に浮いていた」といったような事実は一切ない)。
1990年代も『オバQ』の単行本は海外で新たに出版されている。日本国内ではシンエイ版のアニメが再放送されたり、レンタルビデオで流通したりしている。これらはいずれもFとAの連名で著者表示、権利表示が行われている。
「権利関係がややこしすぎて整理と解決に20年かかった」は根も葉もない悪質なデマ。知識の浅い漫画評論家気取りの著名人が、YouTube等で恥も外聞もなくデマを垂れ流し続けている。
1989年7月に某抗議団体が「国際オバケ連盟」の「バケ食いオバケ」表現について抗議した。
これが原因で「出版社がオバQの単行本の全面回収を行った結果、オバQは封印状態になった」という話をよく耳にするが、当委員会の調査では「全面回収が行われた」という証拠は確認できなかった。安藤健二「封印作品の闇」(この書籍の内容自体がそもそも多数の事実誤認を含んでいるのだが)p203の記述も「『ジャングル黒べえ』を含む計10冊が回収」となっており全面回収はされていない(FFランドのオバQは全20巻、同新オバQは全7巻)。
書店でも流通は続いており、完全に姿を消した状態にはなっていなかった。
抗議による自主規制で1990年代初頭は積極的な増刷は検討されなかったと考えられるが、1990年代中期以降は出版しても問題ない空気となり、海外では実際に新たに出版されている。国内で増刷されなかった理由は次項を参照。
1990年代にてんとう虫コミックスのオバQの増刷は行われていないが、そもそも『ドラえもん』以外の藤子不二雄作品はすべて増刷がストップし品切れ状態になっている。
小学館の営利精神においては『ドラえもん』は増刷すればするだけ売れて儲かるのでどんどん増刷するが、それ以外の作品はそれと比べたら利益率が低いので増刷されなかったというだけのこと。『ドラえもん』以外の藤子作品は1990年代には小学館からはほぼ刊行されていない(文庫本が数作刊行されたのみ)。約10年間増刷が行われず、新装版も発売されないという状況は、多くの藤子作品にとってありふれたことなのである。
FFランド(中央公論社)の増刷が行われなかったのも同じ理由だが、中央公論社は1991年にFFランド第1期が完結後、経営危機に陥り、そもそも増刷どころではない。中央公論社はその後中央公論新社に社名が変更される再編が行われたが、2002年のAランドに関わったのは同祖の出版社・嶋中書店)。
1990年代後半からネットで行われた署名運動が結実し、ブッキングがFFランドの復刊に動いたが、その際の交渉作品には『オバQ』が含まれており「『オバQ』は封印されているから無理」などという状況はまったく存在しなかった。また、『オバQ』の権利はFA共同権利で印税は折半と明確になっており、権利問題での揉め事はこの時点で一切ないことも確認できている。
結果的にFFランド全301巻の復刊はかなわず、A単独権利となった作品149巻(厳密にいえばFA共同権利短編『海抜六千米の恐怖』が含まれている)だけが2002年からAランドとして刊行されることになったが、これは小学館が藤子プロ(F側の会社)に「弊社からもっといい全集を出しますから他社からは一切出さないでください」と頼んで断らせたためである(藤子プロは小学館からの出向者が作った会社)。
全集は利益が出にくいため小学館での刊行実現には年数を要したが、7年後の2009年に約束は果たされ、F大全集レーベルで『オバQ』がほぼ全エピソードを完全収録するという完璧な形で陽の目を見ることとなった。
藤子不二雄Ⓐ自身も小学館での刊行に賛同しており、揉め事は一切ない(印税も折半)。
小学館は全集出版に消極的だったので、先に『オバQ』だけ出そうとしたが、F遺族は全集出版の約束を反故にされかねないと考えて打診を断った。その後、無事にF大全集で『オバQ』が刊行されたのは上記の通り。
2003年頃、Aランドの復刊によりA単独権利作品はマイナー作でも入手しやすい状況だったが、F単独権利作のマイナー作はほぼ入手できない状況だった。それを鑑みればF遺族が「F単独権利作の作業を先に」と願って当然である。
F大全集はあくまでもレーベル名。『(旧)オバQ』はFA共同権利作品なので、印税はFとAの双方で折半される(著者名は「藤子・F・不二雄」「藤子不二雄Ⓐ」の両名併記))。
『海の王子』『チンタラ神ちゃん』『仙べえ』等も同様。収録されている細かな短編も相応分が按分されると考えられる。詳細は共同権利等を参照。
アニメ『新オバQ』のOPとEDはDVDに収録され発売されている。この収益が長年宙に浮いている筈もないので、アニメ『新オバQ』の権利も1988年時点で円満に分割されていると考えられる。
アニメ『新オバQ』が、漫画『オバQ』と『新オバQ』の両方を原作としたアニメなため、権利はFAで「折半」か「F75:A25」のどちらかだと考えられる。
シンエイアニメ放送後、再放送が行われないのはシンエイの他の藤子アニメにも適用されている「過去の別会社のアニメ作品は再放送しない」という方針が継続しているため。今後、配信やメディア化が早期に行われることに期待したい。
合作#オバQ最後デマを参照。
石森らスタジオゼロの面々が作画で参加しているのは、基本的に「週刊少年サンデー」連載版のみ。1960年代に描かれたオバQ全エピソードのうちの一部に過ぎない(F大全集オバQ全12巻のうちの5巻分)。
「週刊少年サンデー」連載版のオバQは「スタジオゼロの面々で作画を手伝う代わりに原稿料全額をスタジオゼロの運転資金にする」との約束のもと描かれている。つまり、藤子には原稿料は一銭も入らないのである。石森らも「自分たちが重役として共同経営しているアニメ制作会社の資金のためにやっている」のであり、「友達だから藤子不二雄を手伝った」わけではない。
1969年に初の単行本が刊行された頃までには「オバQの印税は全額藤子不二雄に」という取り決めが交わされたと考えられる(同様のシステムで描かれたスタジオゼロの漫画作品は複数あるが『レインボー戦隊』の権利は石森のものとなるなど、円満に権利分けが行われている)。
「制作分担」の項を見れば分かる通り『オバQ』はもともと藤本と安孫子の完全合作なので、共同権利作品扱いのままとなるのがごく自然である。連載中期以降に藤本の執筆量が多くなったのは、安孫子が『忍者ハットリくん』『怪物くん』『フータくん』等の他の人気連載で多忙だったことや、学年誌連載がもともと藤本の担当だったこと、主人公のオバQを藤本が作画していること等が要因である。もし同時期に藤本単独作の別の大ヒット連載があったならば『オバQ』はより半々に近い分担で描かれていたと考えられる。
「友情の証」デマを生んだ人は、オバQの成り立ちについての知識が決定的に欠如している。
「制作分担」の項を見れば分かる通り両方とも基本的に2人で描いている合作。
執筆当時は『(旧)オバQ』と『新オバQ』の間に決定的な違いはない(『(旧)オバQ』の藤本ネーム担当回と『新オバQ』は同じ分担で描かれている)。
『(旧)オバQ』が共同権利作品、『新オバQ』がF単独権利作品に分類されたのは1988年以降の話。印税計算をシンプルにするために合作もなるべくどちらかの単独権利作に編入されるように権利分割が行われたが、オバQは2人の代表的な合作なので当然ながら共同権利作品扱いのままとなったが、藤本の執筆割合のほうが多いことを考慮して『新オバQ』はF単独権利に編入されたものと考えられる。
「まんだらけ12」のインタビュー記事にて藤本の言葉として「再開されてからはアイデアは全部僕がやって」と掲載されたことから広まったデマ。このインタビューを読んだファンの多くが「全部? さすがにそれは言い過ぎ」という感想を抱いたことからも分かる通り、事実ではない(どんなに歪んだ判別をしても安孫子のネームが1本もないとは考えられない)。
少年サンデー(週刊および別冊)での連載・掲載においてはその後も安孫子は何度もネームを担当。頻度は減っていくものの、連載終了年の1966年までネームを担当している(少なくとも10本強、多く見積もれば20本以上)。学年誌での連載はすべて藤本がネームを担当していると考えられるため、オバQ全体でのネームの担当量は藤本が圧倒的に多いことは誰もが疑いようのない事実。
先の藤本のインタビューは「アイデアはほとんど全部僕が」等の発言の「ほとんど」が省略されて掲載されたものと考えられる。
真贋の検証を怠り、作者の言葉を盲信するだけの者は、ただの朗読者である(少なくとも研究者や評論家ではない)。
Qちゃんの下品なクイズ(運湖)等で普段は喜んでいるという描写から「河伊伊奈子は実は下品な少女」という意見があるが、この場面は
「普段はQちゃんの話を歳の離れた弟の無邪気な話として聞いているからほほえましくて癒やされる」
「中学の同級生の伸一が同じ内容を喋ったら当然ながら恥ずかしい」
というごく常識的な少女の反応ではないか……という意見もある。
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