藤子・F・不二雄

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日本の漫画家。正確には、藤本弘が1989年1月頃から死去時(1996年)まで、約8年弱使用したペンネーム。

よみ】ふじこ えふ ふじお

】Fujiko, F. Fujio

英語表記について

作品が英語圏で翻訳された際に作者名が「Fujiko・F・Fujio」表記になっていることがあるが、「・(中黒)」は英語圏では通常は用いない記号なことを考えると問題がある。「海外の作家みたいでかっこいいぞ」と石ノ森章太郎が提案したことで改名に至った経緯を考えれば「Fujiko F. Fujio」または「Fujio F. Fujiko」の表記がふさわしいといえる(「アーサー・C・クラーク」の英語表記は「Arthur C. Clarke」)。

姓と名が取り違えられることも多い現状を改善するには、状況によっては「Fujiko, F. Fujio」「FUJIKO F. Fujio」等と表記するのが望ましい。

ファーストネームを省略する際の表記は「Fujiko, F. F.」または「F. F. Fujiko」等が適している。

デマや誤情報について

藤子不二雄#demaも参照。

「独立して藤子・F・不二雄に改名」はデマ

正しくは「独立して藤子不二雄Ⓕに改名」。

藤本が独立時に新ペンネームとしたのは「藤子不二雄Ⓕ」(作品が同名義になったのは1988年2月頃から)で、「藤子・F・不二雄」への改名はその約1年後(作品が同名義になったのは1989年1月頃から)。

「1987年から藤子・F・不二雄に改名」はデマ

発表作品が「藤子・F・不二雄」名義になったのは1989年1月頃から。これは独立後2度目の改名(前項参照)。

藤本が「藤子・F・不二雄」への改名を決めたのはおそらく1988年12月頃であり、1987年はあり得ない。

上記の事情を考えると「1989年から改名」と記すのが最も誤解を招きにくい(「1988年から改名」でも誤りとはいえないが、1988年1月と誤解されるおそれがある)。

F公式サイトの年表Fミュージアム公式サイトの年表は、「藤子・F・不二雄」を1987年の位置に記載しており、誤りが長年拡散され続ける元となっている。正しい歴史を残すためには、藤子不二雄Ⓕへの改名経緯を含めて、改名時期を正確に記すべきである。

「藤本の多くの漫画は藤子・F・不二雄名義で発表された」はデマ

藤本の全作品のうち、「藤子・F・不二雄」名義になってから発表された漫画はごくわずか(雑誌漫画は下記の4作のみ)である。

「藤子不二雄」名義時代から継続した連載漫画は『ドラえもん』『チンプイ』のみ。

「藤子・F・不二雄」名義で雑誌に発表した新作漫画は、短期連載『未来の想い出』と、読切短編『異人アンドロ氏』のみ。

「藤子・F・不二雄は1951年に『天使の玉ちゃん』を執筆し発表した」は大きな誤解を招く表現

「藤子・F・不二雄」という名前の作家は1988年以前には存在しない。

「安孫子素雄と藤本弘は1951年に『天使の玉ちゃん』を執筆した。同作品は『あびこもとお・ふじもとひろし』名義で発表された」が正確な記述。

「藤子・F・不二雄」を本名「藤本弘」という個人の作家名の総称として用いるのは問題ないが、歴史事実を述べる過去の文章中に用いると、あり得ない事実表記になってしまい、虚偽の歴史の拡散につながる。